プロジェクト杉田玄白 正式参加作品






『科学的管理法の原理』
(The Principles of Scientific Management)



フレデリック ウィンスロー テイラー(Frederick Winslow Taylor)著

大阪市立大学商学部 プロジェクト杉田玄白 参加メンバー 訳

(メンバーのフルリストは、最後尾に)



本翻訳の最新版は、http://www2.bus.osaka-cu.ac.jp/~y-inaba/ProjectSugitaGenpaku/SciMgt.htmに あります。








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**** 翻訳ここから ****


プロジェクト・グーテンベルグ イーブック 科学的管理法


英語版入力 チャールズ E ニコルズ(Charles E. Nichols)



科学的管理法の原理


フレデリック ウィンスロー テイラー(Frederick Winslow Taylor, M.E., Sc.D.)著

1911年









序章



ルーズベルト大統領のホワイトハウスでの知事たちへの所信表明は、「国家的資源の保護は国家的な能率のより大きな問題のための下準備にすぎない。」と予言 的に述べたものだった。

国全体が限りある資源の保護の重要性を認識すると同時に、この目的を成し遂げることに有効であろう大きな運動が起こり始めている。しかしながら、まだ私た ちは「国家的な能率向上のためのより大きな問題」の重要性を漠然としか評価していない。

私たちは切り倒されてゆく森林や、浪費されていく水力や、洪水によって土壌が海の中に流されることや、石炭や鉄がもうすぐ尽きることを見ることができる。 しかし人間の努力の無駄はより大きく、毎日の私たちの行動の失敗を通して起こる。方針の間違い、効率の悪さのようなものである。そしてこれらをルーズベル ト氏は「国家的な能率」の欠点を目に見えにくく、はっきりしにくく、そして漠然とした評価しかしていないこととして言及している。

我々は物質の浪費は見たり感じたりすることができる。しかしながら、厄介な能率の悪い方針の間違った人間の行動は、目に見えたりはっきりしたものとして後 に何も残らない。それを察知するには、きちんと記憶したり推測したりする努力が大いに求められる。こういった原因から生じる日々の損失が物質を浪費するこ とによって生じる損失よりも大きくなっているにもかかわらず、物質の浪費は我々深く注意するものの、一方で非能率による浪費はほとんど気にはしていないの である。

今までのところ「国家的能率の向上」の世論はないし、これらを如何に成し遂げるべきか呼びかけた会合もない。しかし今も能率性向上を広く啓蒙する必要は標 榜されている。

過去、今ほど精力的なものではなかったが、大会社の社長から家事の使用人にいたるまで、より優れたより有能な人材を捜し求められてきた。が今こそ有能な人 材がその供給を超えて、より多く待たれている時代なのである。

しかしながら、私たちが求めているのは既に完成している有能な人(誰か他の人が育成した人)だ。 国家の能率を上げようと思うならば、他の人が育てた人を 探すかわりに組織立って協調して有能な人物を作ることが、私たちの機会であると同様に義務であることを十分に悟らなければならない。

昔から「産業界の指揮官たちは作られるのでなく、うまれながらのものである」とうまく表現されていた。そして適切な人材を手に入れることが出来るなら、方 法は彼に委ねれば大丈夫という理論だった。これからは、私たちのリーダーは正しい生い立ちと同様に正しい教育をされる事も大事である。そして多くの普通の 人が正しく組織し能率的に協力すれば、偉大な人でも個人的な古い経営システムをしている限りは競ってもそれに勝つことを望むことはできない。

今までは人間が最も重要とされていた。しかし未来においてはシステムが最も重要でなければならない。だがこれは優れた人間を必要とするシステムが消滅する というわけではない。それどころか良いシステムにおいて最も重要なのは一流の人間を発達させることにある。組織的な運営において一流の人間は以前よりも確 実に、そして早く昇進するのはまちがいない。

この論文の目的はこうである。

第一に我々が毎日行っていることのほとんどが非能率であり、国全体で大きな損害を被っていることを簡単な例証で指し示すこと。

第二に何人かの能力の際立った、並外れた人間をさがすよりも、非能率を改善し組織的な運営をすべきであると読者に納得させること。

第三に最善の管理とは、基礎として、明白に定義された法則、規則および原理に基
づくこと、つまり真実の科学であることを証明すること。その上、科学的管理法の根本原理は私たちの最も単純な個人の行動から、極めて精巧に考案された協力 が要求される偉大な企業での労働へと、すべての人間の活動に適用可能なことを示す。さらに、適用さえ間違えなければ、一連の実例を通して、これらの原理が 適用される時はいつでも、本当に驚かせる結果がついてくるに違いないということを読者に納得させることである。

この論文はもともと、米国社会の機械技師協会への発表のために準備された。選ばれた実例は、特に、製造工業会社の技師や管理者を対象に訴えかけられ、ま た、それらの工場で働くすべての人に相当するものであろうというものであった。しかしながら、それ以外の読者たちにも、この論文における同じ原理がすべて の社会活動において機械技師たちと同等の効力が適用されるであろうということ、また家庭の管理、農場の管理、小さいもから大きなものまで全ての商人のビジ ネス管理、教会、慈善施設、大学、および政府の省庁の管理にも同じように適用できることを理解してもらいたいと考える。




第1章

科学的管理法の基礎




管理の第一の目的は、それぞれの従業員の最大限の繁栄を結びつけ、雇主の最大限の反映を確保することである。

「最大限の繁栄」という言葉は彼らの意識の中で、その繁栄を永遠なものにするために、企業や所有者の大きな配当金というだけではなく、卓越した最も高い状 態に全ての業務の部門の発展という意味で使われている。同じようにそれぞれの従業員にとっての最大限の繁栄は、その人の所属する部門の長からいつも支払わ れるより高い給料を得るというだけでなく、一般的に言って本質的な能力が適した仕事でより高い評価を得ることができるように、それぞれの従業員の最大限の 能率があがる作業の発展という意味や、さらに可能なとき、すべき仕事を従業員に与えられるということも意味の重要性を意味している。

従業員にとっての最大限の繁栄と結び付けられる雇主にとっての最大限の繁栄が管理の二つの主な目的であるということは当然のことであり、この事実をはっき りと述べる必要がないほど明らかなことである。それにもかかわらず、産業界の至る所において雇主の大部分の組織は従業員と同様に平和のためというよりはむ しろ戦争のために作られている。しかも、おそらく両者の大部分はそれらの利害が同一になるような相互関係を十分に整えることが可能であるということは信じ ていない。

これらの人間の大多数は従業員と雇主の根本的な利害は必然的に対立すると信じている。科学的管理はそれに比べて、その確かな土台として、二つの本当の利害 は一つでありそして同じであるという堅い信念を持っている。つまり、雇主にとっての繁栄は、従業員にとっての繁栄を伴わない限り、長期間存続することがで きないし、逆に従業員にとっての繁栄は、雇主にとっての繁栄を伴わない限り存続することができない。そして、作業員が最も欲するものである高賃金を与える ことや雇主が彼の製造業において最も欲するものである低い人件費を与えることは可能である。

これらの目標各々に賛同しない人たちの少なくとも一部が見方を変えてもらいたい。つまりその雇い主、作業員に対する姿勢ができる限り最小の賃金から彼等に 莫大な仕事の量を得ようとするものだという雇い主が、作業員に対するより進歩的な手段が彼等により高い給料を払うことだとわからせられるかもしれない。つ まりそうすれば雇い主にまずまずで均一の大きな利益をしぶしぶ与えているような作業員、そして労働の成果の全てがその利益に属すると感じている作業員、そ して彼等が作業して企業に投資される資本にほとんど何の権利も与えられない作業員がその見方を変えさせられるかもしれない。

各々どんな個人の場合でも、最高の富があり得るのは個人が最高の能率状態に達しているときのみである。つまりそれは、個人が毎日最高の産出高を生産すると きである。

この事実の真実はまた一緒に働いている2人の人間の場合に完全に明らかになる。説明すると、もしあなたとあなたの作業員がかなり熟練になって、あなたとそ の人が一緒に一日で2足の靴を作っているとして、あなたの競争者とその作業員はたった1足しか作れないとする、するとあなた達は2足の靴を売った後、たっ た1足の靴しか作れなかったあなたの競争者がその作業員に払うことが出来る給料よりも、ずっと高い給料をあなたは自分の作業員に払うことが出来るというの は明らかである。そして、競争者よりもより大きな利益をもたらし、さらにあなたにのこす十分な財産があるだろう、というのも明らかである。

より完成された製造組織の場合には、作業員にとって最高で永久的な繁栄、かつ雇主にとって最高の繁栄は、組織の仕事が人間の努力、加えて自然の資源、機会 形式の中での資本の使用のためのコスト、建物、等など・・・による最小で一緒にされた支出が処理された時にだけもたらされるというのも完全にあきらかであ るはずだ。あるいは、同じことについて異なる言い方をすれば、最大の繁栄はその組織体の人間や機械の最大可能生産性の結果としてのみ起こりうる。そしてそ れはそれぞれの作業員と機械が最大可能産出高を作り出しているときであるのだ。なぜなら、あなたの作業員や機械があなたの周囲のほかのものよりよく働き、 毎日産出しない限り、競争が競争相手の作業員よりもあなたが自分の作業員に高い賃金を払う妨げになることは明らかだからだ。そして、お互いに隣り合って互 角の競争をしている二つの会社の場合、高賃金が支払われている可能性があると言え、またそれは国内の競い合っている地区同士に関しても、さらに国家同士で さえも言えることだ。要するに、最大の繁栄は最大生産性の結果としてのみ起こりうる。後ほどこの論文で、たくさんの配当を稼ぐと同時に、会社のすぐ近くの 同種の作業員よりも自分の会社の作業員に30%から100%高い賃金を支払っているいくつかの会社についての説明を示すつもりであるし、またそのような会 社の雇い主は競い合っている。これらの説明は最も初歩的なものから最も複雑なものまで様々な職種に適用されるだろう。

もし、上記の推論が正しいなら、それは次のように、作業員と管理者の最も重要な目標は組織における各個人の訓練と熟練ということになる。そのようにして彼 は(彼の最も早い速さと最高効率で)、彼が仕事にたいして持ち合わせている能力の最高級の仕事をすることができるのである。

これらの原理はあまりにも当たり前のことなので、多くの人はそれらを改まって言うのはまったく幼稚なことと思うほどである。しかしながら、事実に目を向け てみよう。このような人々はこの国にもイギリスにも実際にいる。イギリス人やアメリカ人は世界でも偉大なスポーツマンである。アメリカの作業員が野球をす るときや、イギリスの作業員がクリケットをするときにはいつも、彼が自分の勝利を確実にするために全力を注ぐといってもいいであろう。彼は、できるかぎり かなり多くの得点を取るよう最善を尽くす。その変わらない感情はあまりにも強いため、スポーツをやっていてすべてを投げ出しやめてしまう人は、「敗北主義 者」の烙印を押され、そして周りの者から軽蔑的な扱いをうける。

同じ作業員が次の日に作業に戻った時、努力して可能な限り最大量の作業で生産する代わりに、大多数のケースにおいてこの人間(作業員)が問題にならない程 度に仕事をする為に故意に計画より生産を少なくしたり、中には1日の適切な作業量の3分の1から2分の1しか作業しない事例も見受けられた。そして、もし 彼が可能な限り最大限の生産を行なう上で最善を尽くして仕事を行った事がわかると、彼は作業仲間から罵られ、更に彼自身がスポーツで言う「敗北主義者」で あるという証明になる。すなわちこのような作業化に於いては、故意に作業をゆっくり行い、一日のなすべき作業を回避する事をこの国(アメリカ)では 「soldiering」と呼ばれ、イングランドでは「hanging it out」と呼ばれ、スコットランドでは「ca canae」と呼ばれ、これはほとんど普遍的に産業組織体で現れ、更には建設業界の大きな範囲で妨げとなってきた;そして筆者はあえて矛盾の恐れなしに、 イングランドやアメリカの労働者が、これら今最も苦しめられている大きな悪を構成するもの(すなわち怠業)によるものであると主張する。

緩慢な作業や各種の『怠業』を止め、各作業員がそれぞれ最大限の実力を発揮し、管理者の個人的な協力や管理職から(もともと受けるべき)援助により出来る 限り早く仕事をこなせるよう労使の関係を改善することで、各作業員及び各機械に対し平均して2倍近い成果が得られることが、後述の論文から明らかになるだ ろう。繁栄促進、貧困減少、苦難緩和に向けて2カ国間協議の中で、更に考えられる改善策が他にあるだろうか。アメリカとイギリスは先日関税、大企業の統制 や伝統的権力といった問題、そして多かれ少なかれ存在する税制に対する様々な社会主義的な提案について議論した。これらの問題に関して両国民はとても動揺 しているが、賃金、繁栄、労働者ほぼ全員の生活、全産業の大規模な繁栄、国家の確立に直接的かつ強力に影響を与えるこの限りなく壮大な『怠業』という重大 な問題に対する注意を呼びかける声は未だほとんどあがっていないという有様である。

『怠業』とのろのろ働くいくつかの原因を取り除く事は、生産コストを下げ、私たちの国内市場と外国市場とを拡大し、対等にライバルたちと競うことができ る。それは不景気、雇用不足、貧困の基本的な原因を取り除くことであるといえる。今日、それらの結果を和らげるために試みられているいろいろな対応策のど れよりも、『怠業』を止めることがより不変的で一番有効である。それはより高い賃金、より短い労働時間、より良い仕事と家庭環境の保証を可能にする。

そして最大の繁栄は、各作業員が一日の最大可能な業務のために努力することで、存在できるという自明の事実に直面することである。私達人間の大多数は、意 識的に反対のことをする、人間が最も能率的である時でも、それらの仕事はたいてい能率的ではない。これはなぜなのか?

怠業には三つの原因がある。それらは以下のように手短に要約することができる。

第一にほとんどの労働者層が、この業界において各労働者または各機械の生産量を増やせば、最終的に多数の労働者が失業に追い込まれる、と昔から誤解してい ることである。

第二に一般に使われている間違った管理法により、各労働者が怠惰や非能率的作業をしなければ、労働者の利益を守ることができなくなっている。

第三に非能率的で大雑把な方法がすべての業界でいまだに行われているために、実際に労働者の努力の大部分を無駄にしている。

大雑把な方法から科学的方法に変えることによって、結果として生まれる著しい利益をこの論文は証明しようとしている。

さらに十分にこれらの3つの原因を説明する

第一の原因について。作業員の大多数は、もし彼らが彼らの最高の速度で仕事をすれば、多くの失業者を投じ、その行為が業界全体に対して甚大な不正行為を行 う事であるように考えている。しかしながら、各業界の発展の歴史は、新しい機械の発明や新しい方式の導入といった改良が行われるたび、この業界の労働者に 置ける生産能力の増加と安価なコストを生じ、失業者を生じさせることはなく、かわりに多くの働く人を必要とした。

一般に使用する品物が安くなると、その品物に対する需要が増加する。例えば,靴に関するケースを取り上げてみよう。以前は手で行われていた仕事は、各作業 を行うための機械の導入により、原価は以前の何分の一かに下がってしまった。そのために、それらは安く売ることができるので労働者階級のほとんど全ての男 性、女性および子供は一年当たり一足あるいは二足の靴を買い、いつでも靴を履いている。一方、以前の労働者はおそらく五年ごとに一足の靴を買い、贅沢とし て、あるいは必要やむをえない場合のみ靴を履いていて、通常は裸足で歩いていた。靴の機械ができてから一人の労働者あたりの莫大に増加した出力にもかかわ らず、そのように増えた靴の需要のために、以前より相対的に多く人々が現在靴産業で働いている。

ほとんどすべての職業において労働者はこの種のおかしな教訓を目の当たりに見ているのにもかかわらず、彼らは自分の職業の歴史でさえ知らないので、できる だけ余計に仕事をすると、自分たちの利益にならないと彼らの父親が信じたように、彼らも固く信じている。

この誤った考えの下では、双方の国々の多くの割合の労働者が産出高を削減するために毎日故意にゆっくりと働く。ほとんど全ての労働組合は、労働者のメン バーの産出高を削減するための規則を熟考して作った。また、働く人々に対して最も大きな影響力を持つ労働組合幹部とそれと同様に労働者を支援している慈善 の感情を持った多くの人々が、日々この誤った考えを広め、同時に労働者に彼らは働きすぎているということを言っている。

「Sweat shop (搾取工場)」的な仕事と条件について、昔からそして現在に至るまで非常に多くのことがしきりに言われている。筆者は働きすぎている人々に対す る大きな同情を持ったが、一方、賃金が少ない人々に対しても同情を払ってきた。しかし、働きすぎている人が一人いるとすれば、毎日の労働を故意にゆっくり 働いている人が百人はいる。この理由のため、最終的には低賃金になるのは避けられない。そして、この害悪を修正するために努力しようとする意見はまだほと んどないのだ。

技師、管理者として社会のどの他の階級の人より、私たちはこの事実をより詳しく熟知している。それゆえ、労働者だけでなく大衆にも知らせることによって、 この誤った考えを撲滅しようとする運動を導くのに最もふさわしいものとされた。しかし、私たちはまだ実際はこの点では何もしていない。私たちは労働扇動者 (誤った考えを伝え、誤った方向へ導く多くの人)や実際の作業状況について無知な感情家が完全に管理するこの現場をそのままにしている。

第二の原因について。怠業の第二の原因は雇い主と従業員との間の共通した習慣におけるほとんどの管理制度の元に存在する関係である。さまざまな種類の作業 が行われるべき適当な時間について雇い主が無知であることが、作業員の利益のために彼らが‘怠業’することを引き起こすという問題を熟知していない人々に これを2,3の言葉で明らかにすることは不可能である。

 したがって、筆者は1903年6月に『工場管理』と題名付けられ、ASMEにおいて発表された論文より怠業の原因を十分に説明できるよう、以下のように 引用している。

「この怠業は2つの原因から生じる。1つ目の原因は、楽をする人間の自然な本能及び傾向によるものであり、それは自然な怠業とみなしてもよい。2つ目の原 因は他の人々との関係によって引き起こされたより複雑な再考及び推論によるもので、それは組織的怠業とみなしてもよい。」

 「平均的な人(人生のあらゆる段階において)が、ゆっくりと容易な歩調で働く傾向にあることについて疑問はない。人がより迅速なペースをとるのは、熟考 や見本を観察した結果あるいは、良心や外部からの圧力の結果の後でのみ生じる。」

 「もちろん、たとえ彼らの最善の利益に反するかもしれないとしても、自然に最も速い足並みを選んだり、自分自身の標準を掲げたり、熱心に働く、まれなエ ネルギーや活力や野心のある人もいる。しかし、これらの少数でめったにいない人々は、平均的な人々の傾向を強調し対比を形作ることでしか役立たない。」

「多数の人がお互いよく似た仕事をしたり、日給が単一標準賃率であるということが、この『気楽にやれ』という一般的な傾向を非常に増加させている。」

「これが意味することは、よくできる人が、次第に能力の乏しい人にあわせて足並みを落とし、非効率的になっているということである。一般的に活動的な人が 働くのと、怠惰な人とを比べると、その事態の必然性は、答えるまでもない。」

「怠惰な同僚が、私のたった半分の仕事で私と同じ賃金をもらっているのに、なぜ私は一生懸命働かなければならないのか?」

「これらの状況下で、人の仕事の注意深い時間研究によって情けないだけでなく、ばかげているという事実が明らかになるだろう。」

「説明すると、著者は時間を計ってみた。生まれつき精力的な作業員は、仕事の行き帰りの間、時速3〜4マイルのスピードで歩くだろう。そして、一日の仕事 が終わった後に家へ急いで帰ることはめったなことではない。作業場に着くとすぐに時速約1マイルのスピードへと遅くなる。例えば、荷を積んだ手押し一輪車 を動かすとき、荷に耐えるのをできるだけ短時間にするために、坂を上るのでさえかなり速いペースで歩くだろう。そしてすぐに、時速1マイルで遅く歩き戻っ てくる。実際に座るには不十分でぐずぐずするために、すべての機会を利用する。怠惰な隣の人よりも確かにより仕事をしないようにするために、ゆっくり行く 努力をし、実際に彼は疲れるだろう。」
「人々は、良い評判や作業員から評価されている職長のもとで働いていた。この状態を注意されたとき、職長は、『私は彼らを座らせないようにできるが、悪魔 も彼らが働いている間、彼らをどんどん仕事を進まさせることなどできるはずがない。』と答えた。」

「人間の生まれながらの怠惰は重大である。しかし、さらに作業員と雇い主双方を悩ませる最大の悪は、通常の管理のあらゆる枠組みに共通するもので、そして 何が作業員の側の利益を最大限に増進させるかものなのかを彼らが注意深く考えた結果がもたらした、組織的怠業なのである。」

「著者は最近、一人のまだ小さいがもう経験を積んでいる12歳のゴルフキャディーの話に興味を持った。彼はゴルファーにキャディーは時給制のため早く動け ば動くほど受け取る給金は減り、もし自分が速く動きすぎれば他の連中に袋だたきにあうということを話して、ボールに近づくときにゆっくり歩き、人の後ろで ぐずぐずしていることに特別のエネルギーと関心そして必要性とを示していたのだ。」

「これが、深刻ではないけれども組織的な怠業である。なぜならそれは、雇い主の知識の故に起こっていたのであり、彼はもし自分が望めば組織的怠業をとても たやすく辞めさせることができるのである。」

「しかしながら大部分の組織的怠業は、やればどれくらい早く出来るかをわざと雇い主に知らせないようにしている従業員によってなされる。」

「この種の怠業は大変普遍的なもので、そのため大きな工場には有能な作業員を見つけることなどほぼ不可能である。たとえ日給、出来高払い、下請制、その他 普通の制度でやっている所であろうと、作業員達は仕事をのろのろしながら、しかもすごい速さでやっているように雇い主に思わせる方法を研究していると言っ てもよい。」

「こういうことになる原因を簡潔に言うと、すべての雇い主は日給でも出来高払いでも従業員の一日の収入はせいぜいこのくらいが最高額と決めてしまうからで ある。」

「各作業員はすぐに、この最高額が自分にとっての特別な場合であると知る。雇い主も作業員が今まで以上に仕事をこなせるとわかれば、遅かれ早かれ作業員に これまで以下の賃金、または賃金を増やさずに仕事を強いる方法をいくつか見つけるであろうと悟る。」

「雇い主は、よく年齢とともに不明確になってしまっている自身の経験や、おざなりで非体系的な観察、またよくても各仕事に要した時間の記録をとってその中 で最も速いものから、一日分の仕事はどの程度定められた水準であるかを知る。多くの場合、雇い主は与えられた各仕事は、今までより速くこなせるとほぼ確信 しているが、どれだけ早く仕事がこなせるかを決定的に示す記録を手にしなければ、ほとんど作業員に仕事を最速の時間でこなさせるために必要な徹底的な対策 をとろうとしない。」

「明らかに工員にとっては、これまで以上の速さで仕事をしないようにすることが自分達の利益になるということになる。始めに新しい記録を達成したものが一 時的に賃金は上がるが、他の者はそれまでの賃金で新記録と同様の仕事をしなければならないことを若く経験の無い者が入ってきた時に熟練者は教える。また記 録を目指すばかりの欲望的な男に対しては圧力をかけ、新しい記録をださせないようにする。」

「通常の日給制度として最も良いのは、それぞれの工員の仕事量と能率について正確な記録をとり優秀者には賃金を上げ、基準量に満たないものは解雇する。そ して、後任者をよく選択して入れ替えるようにすれば自然的怠業や組織的大業は広くなくなるであろう。しかし上記のことが起こりうるためには、将来において も出来高払い制度を設けないということを明らかにし、工員を安心させておく必要がある。そして、仕事上明らかに出来高払い制度ができる場合には、工員はな かなか信用しない。ほとんどの場合、彼らの記録を更新するという不安は出来高払い制度の基盤となることを恐れ、できるだけ怠けようとするのである。」

「しかし組織的怠業方法が十分な発達を遂げるのは出来高払い制度の下においてである。彼がより猛烈に働いて、出来高を増やした結果として、工業単価が 2,3回下げられると、以後は決して雇い主側に立って考えられなくなり、単価の切下げを防ぐには怠業によるほかはないと決心する。しかし怠業は雇い主を意 識的な試みを伴ってだます事であるから、工員の品性のためには、はなはだよろしくない事である。このようにまっすぐな工員は多少偽善的にならざるをえな い。 雇い主を敵視しないまでも、反対側とみなすようになり、雇い主と工員との間で存在すべき相互の信頼はなくなり、お互いに同じ目的の為に働いて、その結果を 分配するという熟誠と感情とがなくなってくる。」

「普通の出来高払い作業システムの下では、多くの場合工員の側に著しい反感があり、雇い主の言い出した事は、たとえ理の当然な事でも、疑いで見られる。た とえ出来高を著しく増やしても、それが彼らの仕事上では何の関係も伴わない場合でさえ、わざわざ機械の生産を制限しようとするくらいである。」

第三の原因について。遅い仕事の原因の3つ目は後で詳しく説明する。大雑把なやり方をやめて科学的な方法を取れば、雇用者、従業員ともに利益がある。これ は後に実例を述べようと思う。いかなる職であっても、不必要な作業を省き、遅い非能率的な動きを速い運動に変えれば、多大な時間の節約し、なおかつ出来高 を増加することができる。専門家が動作と時間の研究によって得た結果を調べてみると、いかに効果があるかが伺える。

これを簡潔に説明すると、各職業の従業員が、仕事の細かい部分を覚えたのは、周囲の人々を見習ったためである。よって同じ作業でも、行われている方法がい くつもある。各職の各仕事を行う方法は40から50あるいは数百に及ぶだろう。それと同じように各種の仕事に用いられている道具にも、非常に違いがある。 しかし、この中で最も速くて優れている方法および道具はひとつしかないはずである。この最良の方法と道具を発見発達させるには、正確な動作と時間研究を行 うことと、現在行われている両者を科学的に研究、分析しなければならない。これは工作技術全般の大雑把なやり方を科学的な方法にかえていくことである。

最善の方法と最善の実践方法は、現在用いられている全ての方法と実践方法を正確さで詳細な動作そして時間の研究をともなった科学的研究を通じてのみ発見さ れ、発展させることが可能なのである。これには、機械技術についてのおおざっぱな方法による科学の段階的な代替物も関わってくる。

この論文は、現在広範に用いられている全ての古い管理システムが前提とする哲学が、各作業員が自ら考える最善の方法で実際に仕事をするための最終的な責任 が本人に残され、相対的に管理者の支援と助言はほとんどないということを不可避なものとなっていることを示すであろう。そしてそれはさらに、このような作 業員たちへの疎外のために、科学の規則や法則に則って仕事をするための仕組みの元で彼らが働くことは、たとえそれがあったとしてもほとんどの場合不可能で あるということを示すであろう。

ほとんどすべての機械工の技術において、各作業員が行う仕事の基盤となる科学は、きわめて重大であり、実際仕事を行うのに向いている作業員でも、工員また はその上に立つ人の援助と指導がなければ、この科学を完全に理解することはできない。なぜなら教育が足りないか、あるいは知力不足だからである。テイラー は以上のことを普遍的原理として主張しようと考えている。(この論文の後半でその事実を証明するような実例を挙げて説明するつもりである)科学的法則に のっとって作業が行われるようにするためには、通常の管理形態にはない作業員と管理者間の責任の分担を行うことであり、それはとても重要なことである。管 理者たちはこの科学を発展させることが義務であるが、同時にこの科学の下で働く作業員を指導、援助すべきであり、その結果に対しては多大な責任を負うべき である。現在の管理法においては、管理者はこの点について責任を十分負っていない。

この論文の中心は明らかで、科学的法則に従って仕事をするためには、今までは工員に任せてあった仕事を管理者が引き継いで、実行をするべきである。
どんな行動でも工員がこれを行うより先立って、管理者の準備行動が、少しでも、行われていなければ、工員に任せた場合より多少でも、速くよく仕事をさせる ことはできない。そして各工員は、今までのように、上司に強要されたり、自力の工夫によって仕事をさせられるかわりに、毎日その上長によって教えられ、親 切な援助を受けるべきだ。

このように、距離が近く、親密で個人的な管理者と労働者との間での協力こそが近代科学管理法の本質である。

一連の実践的な説明を通じて、有効な協力ができ毎日の負荷を均等に分担することで、(上述されたような) 重大な障害の全てがなくなり、工場内の各作業員と各機械は、最大の生産高を得ることになるだろう。旧型の管理の下に働いて受け取る賃金よりも、作業員の賃 金が30パーセントから100パーセントも増加し、また管理者と日々親しく接触していれば、怠業のすべての原因は完全に取り除かれる。そして、数年後に、 このシステムの下では、解雇する代わりにより多くの人に雇用を与えることと、一人当たりの生産高が大きく増加するというおかしな教訓を、作業員は以前目の 当たりに見ることができる。そして一人当たりのより大きな生産高が、解雇につながるという誤りを完全に根絶する。

そして、各人と各機械が最大の生産高を得る事の重要性を、作業員だけではなく、社会の各階級のものに、書いたり話したりして教育すべきであり、この重大な 問題を最終的に解決することができるのは、現代の科学的管理の採用だけである、というのが著者の判断である。たぶん、この論文の読者の大部分は、このすべ てが机上の空論であると言うだろう。しかしそれどころか、科学的管理の理論や哲学は理解され始めている段階であり、一方で管理そのものはおよそ30年間に 渡り進歩をとげてきた。そしてその間、様々な範囲と種類の産業界の会社が、次から次へと次第に普通の管理法から科学的管理法へと切り替えていった。アメリ カで少なくとも5万人の作業員がこの制度の下で雇われている。彼らは周囲にいる同じ特性の人たちより30%から100%も多い日当を受け取っている。一 方、彼らを雇っている会社は以前より繁栄している。これらの会社は人間一人あたりおよび機械一台あたりの生産高が平均して倍増している。この間、このシス テムの下で働いている労働者の間にストライキは全くなかった。普通の管理法の特徴は労働者たちが疑いの眼差しで物を見て、多かれ少なかれ公然と敵対してし まうことである。それに代わって、(科学的管理法では)経営側と労働者側の間でいたるところで友好的な協力関係がある。

いくつかの論文は、科学的管理法のもとで採用された手段や発達した項目、普通の管理法から科学的な管理法への変化を取り入れたステップを書いている。しか し不幸にもこれらの論文の多くの読者が、本当の本質の仕組みを誤解していた。科学的管理法は基本的に、広い一般的原理、ある特定の哲学から成り立ってお り、多くの方法に適応することができる。また、それらの一般的原理を適応するための最善の手段と考えている人が、決して原理そのものと混同することはない 説明からも成り立っている。

従業員や企業の問題全てに対するたった1つの解決策は存在しない。怠ける人や効率の悪い人もいれば、欲深く無慈悲な人がいる限り、また不道徳や悪事が私た ちにある限り、特定の貧困や苦悩、不幸が存在する。人や組織をコントロールする中で、従業員か企業の一方が永続的に繁栄することを保証することができる管 理システムのたった1つの方法はない。

繁栄を左右する要因はたくさんある,その中で数人一州または一国の力ではどうすることもできないことが多い,よって多少は我慢しなければならない時期があ る。
ただし科学的管理法を実行していれば、その中間の時期が普通の管理法よりも利益が多く,幸せで不一致,意見の相違が少なくなる、また不景気の回数は少なく なり、また短くもなることにより損失も少なくなるだろう。ある町や州が従来の自分量式をやめて科学的管理法の原理を実行した場合は、特にそうである。

 早晩以上のような原理は、文明化した社会を通じて一般に実行されるようになると著者は確信しており、そしてその実現が早ければ、人間の幸福になると信じ ている




第2章

科学的管理法の原理




 この著者は、科学的管理法において、彼らが興味を持った時に、人間の知性で最上の三つの疑問が有るのを見つけだした。

1つめ、どこに、科学的管理法の原理が通常の管理のそれらと、本質的違いがあるのか?

2つめ、なぜ、良い結果が異なった形式のもとでより、科学的管理法のほうが、成し遂げるのか?

3つめ、会社の首脳として相応しい人物をまねくことが最も重要な問題ではないだろうか?相応しい人物をまねいたならば、管理方法の選択はその人物に安心し て任せられないだろうか?

次からのページに書かれている主要対象のうち一つがこのような疑問に十分に答えてくれるだろう。




通常の管理の最もすばらしい形式


科学的管理法、もしくは、簡単に言うのであれば「職務管理」の説明を始める前に、著者が信じていることが、一般的に使われる最も良い管理の形式であると言 えるということを述べることが望ましいと思われる。これがなされることによって、通常の最も良い管理と科学的管理の間の大きな違いは完全に正しく理解され るだろう。

500から1000人の労働者を雇う産業の施設では、多くの場合少なくとも20から30の異なった職能が見られるだろう。これらの職能のそれぞれの労働者 は、自らの職能が、はるか遠い先人たちが多くの異なる職能の初歩を実践したような初期の時期の状況から、それぞれの人が比較的に小さい部類の仕事を専門と する、現在の優れた、そして発展している労働が細分化されたような状態へと発達するように、多くの年月をかけて自らの知識を口述で伝えてきた。

各世代の器用さは、あらゆる職の中の作業のあらゆる要素を実行するための、より迅速でより良い方法を発展させてきた。このように、各々の職が始まって以来 発達してきたアイデアの中で残存した最適、最良のものを表しているので、現在用いられている方法はそう言われるかもしれない。しかしながら、これは広い意 味で真実であるけれども、これらの職各々を親密に熟知する人々だけが、どの職のどの要素でも用いられている方法はほとんど均一性がないという事実に完全に 気付いている。一般に標準として受け入れられる一つの方法だけが用いられるのではなくて、仕事の各要素を行う50も100も異なった方法があり、それらが 日々用いられているという。そして、少し考えればこれは必然的にその場合になるに違いないのだが、それらの方法が口述で人から人へ渡ってきた、あるいは最 も多くの場合、知らず知らずのうちに人の観察を通して学んできたものなので、少し考えれば同じ仕事にいろいろなやり方があることは明確であろう。実際に は、それらが成文化されたり、体系的に分析されたり、記述されたことはない。長年の各世代の器用と経験は次の世代へより良い方法が伝わってきたことは疑い もないところである。この経験から得た方法や伝承の知識の集まりは、各職人の主な資産や財産であると言えるかもしれない。今、普通の種類の管理の大半で、 管理者は20から30の取引先に含まれていて管理者の下にいる500人から1000人の労働者が、大半を管理者が持っていない多数の伝統的知識を持ってい るという事実をあからさまに受け入れている。もちろん管理者は、取引ではたいていの場合一流の労働者である監督と指揮者を含む。そしてさらにこれらの監督 と指揮者は他のだれよりもよく、自分自身の知識と個人の技術が、彼らの下の全ての労働者の知識と巧妙さを組み合わせたものよりもはるかに不足しているとい うことを知っている。最も経験のある管理者はそれゆえ、あからさまに労働者の前に、最高の・最も経済的な方法で仕事の課題を並べる。彼らは前にある仕事を それぞれの労働者が、最高の努力・最も厳しい仕事・すべての伝統的知識・技術・巧妙さ・善意の言葉・できる限り大きな利益を雇い主に与えるイニシアティブ を使う気にさせるものとして受け入れている。管理者の前にある課題は簡潔に、すべての労働者の最も良いイニシアティブを得る事と言われるかもしれない。そ して著者は、その人から捜し求められたすぐれた才能の全てを含むためにイニシアティブという言葉を広い意味で使っている。

その一方で、聡明な管理者は十分に労働者たちのイニシアティブを手に入れることは望まない。彼は彼らが普段、雇い主から受け取っているよりも多くのものを 彼らに与えていると感じない限り。この新聞の読者の中でも、管理者だったか、あるいは貿易に従事してきた者だけが、雇い主に完全なイニシアティブを与えて いることを除いて、どのくらい平均的な労働者ががっかりしているかよくわかっている。20の産業構造のうち19で、労働者たちは雇い主に最適なイニシア ティブを与えることが直接彼らのためにならないと信じているということ、そして、最大の可能な労働量と最良の労働の質で雇い主のために一生懸命働く代わり に、彼らは同時に彼らがすばやく働いていると信じさせようとする一方で、彼らは敢えてしているのと同じくらいゆっくり、慎重に働くということをはっきり述 べるのはよく的を得ている。(注)

〔脚注:著者はこの適切でない物事の事態の根拠を“工場管理”という題のつけられた論文ではっきりさせようとしていた。それは、機械的な労働者たちのアメ リカ社会の前に発表された。〕

したがって筆者は繰り返す。管理者は、彼の労働者のイニシアティブを手に入れようとするために、与えられた標準的な仕事を超えた労働者には、いくらか特別 なインセンティブを与えなければならない。このインセンティブはいくつかの異なる方法で与えることができる。例えば、早い昇進、昇給の希望、つまり、ある 種のよい、または早い仕事には、普通に与えられているよりも高い賃金(寛大な出来高払いの報酬、賞金、またはボーナスのどちらでも)や、短い労働(よい環 境と仕事条件)などが与えられる。とりわけ、このインセンティブは、彼の労働者のための個人的な考えや、友好的な付き合い、つまり彼の下にいる労働者の幸 福に本物の思いやりのある関心を持つことのみからくるものであるはずだ。雇用者が、およそでさえ労働者のイニシアティブを得る望みをもつことができるとい うことは、ただ、この種の特別な報酬やインセンティブ与えることによってだけである。通常のタイプの管理の下で、労働者が特別な報酬に申し出る必要性は、 最も関心の高い題目である、最新の計画では誰が雇用者に採用されるのかということ(例えば、出来高払いの仕事、割増金やボーナスのような)が事実上、管理 システムの全体として大きな割合であるということが、一般的に認められている。科学的管理方の下では、しかしながら、採用された特定の給与システムは下位 の要素にしか過ぎない。

大まかに言えば、通常用いられる管理法の中で最も優れた管理法は、労働者は自分達の最高のイニシアティブを与えて、お返しに雇い主からなんらかの特別なイ ンセンティブを受け取る管理法として定義されているかもしれない。この種の管理法は「イニシアティブとインセンティブ」の管理法として科学的管理法、すな わち労務管理と比較して言及される。著者は「イニシアティブとインセンティブ」の管理法が通常用いられる管理法の中で最も重んずられる管理法であると認識 されることを望んでいる。事実、この管理法よりも優れた管理法が存在することを平均的な経営者に説き伏せることは難しいと思っている。著者の取り組む仕事 は、「イニシアティブとインセンティブ」の管理法よりも優れただけでなく圧倒的に優れた別の管理法があるということを完全に納得させる方法を立証しようと する難しいものである。

イニシアティブやインセンティブの管理法に賛成する普遍的な偏見が非常に強いので、平均的な経営者に他のシステムのほうがより優れている事を説き伏せられ るような指摘が出来る単なる理論的な優位性はない。科学的管理法が他の型よりも非常に優れている事を証明することは、筆者の努力次第であり、それはまさに 二つのシステムの実際の働きの一連の現実的な説明をすることであるだろう。しかしながら、ある初歩の原理や哲学は与えられた全ての現実的な例の中で、説明 されているものの本質として認識される。そして、普通の、又は経験則とは異なる一般的な原理は、非常に単純であるので、説明を始めるまでもなく、それらを 表現するのに望ましいように思われる。

古いタイプの管理法の下での成功は、ほとんど完全に労働者の「イニシアティブ」を得ることに依存しており、このイニシアティブが本当に達成されたというの は実は珍しい場合である。科学的管理法の下での労働者の「イニシアティブ」(それは彼らの熱心な労働・信頼・精巧さである)は、絶対的な均一性と古いシス テムよりも可能な限りの広い限界で達成される。つまり、労働者の一部の改善に加えて、管理者が新たな責任と新たな義務や、過去には夢にも思わなかった信頼 性を引き受けるのである。管理者は、例えば、過去には労働者に所有され、労働者が日常の作業を行うのに大変有用なこの学問の規則と法則や公式を分類し、表 にして、縮小した伝統的な学問のすべてを集めた責任を引き受ける。この方法での科学の発展に加えて、管理者は新しいものと彼らにとって重い責任を含んだ他 の3つのタイプの仕事を引き受けることになる

これらの新しい仕事は4つの項目の下で分類される。

まず第1に、それらは人の仕事の各々の要素に対する科学を発展させ、そしてそれは古い伝習的方法に取って代わる。

第2にそれらは労働者を選択しそして訓練し、指導し成長させる。一方でその労働者が過去において自身の仕事を選択しできるだけ精一杯自身を訓練していた。

第3に発展してきた科学の原則に従って為される仕事のすべてを保証するために、それらは人と非常によく協同する。

第4に管理者と従業員達との間に仕事と責任のほとんど同等の分配がある。管理者は従業員よりも適している仕事のすべてを引き受ける。その一方で、過去にお いて仕事のほとんどすべてや責任のより大きな部分は従業員に押し付けられていた。

古くから、計画よりも科学的管理をよりずっと効率的にしているのは、管理者によってなされる仕事の新しい種類と結びついている従業員のイニシアティブのこ の組み合わせである。

これらの要素のうち3つは小さく基本的な方法での「イニシアティブとインセンティブ」の管理の下、多くの場合に存在するが、それらはこの管理の下にあり、 それほど重要でない。一方で科学的管理法の下それらは体系全体のまさに本質を形成する。

これらの要素のうちの第四番目である、「管理者と従業員との間の責任のほとんど同等の分配」には、更なる説明が必要である。イニシアティブとインセンティ ブを管理することの哲学によって、各々の従業員は、一般の計画や自分の仕事のそれぞれの細目に対するほぼ全体の責任だけでなく、多くの場合、なおその上に 自分の実行に対する責任を負うことが必要とされる。これに加えて従業員は、現行の肉体的労働の全てをしなければならない。一方、科学の発達は、個々の従業 員の判断に取って代わる、また体系的に記録され、連動された後にしか効果的に使われることのできない多くの規則、法則、公式の確立を必要とする。科学的な データを実際に使用することはまた、その帳簿や記録(注)などをつけるための部屋や計画者が仕事をするための机が必要である。

[脚注:例えば、普通の機械工場において科学的管理の下で使用されたデータを含む記録は、何千もの書物を満たす。]

このように、古いシステムのもとにあった計画のすべては、個人の経験の結果として労働者によってなされ、新しいシステムのもとの必要性の不可欠なものは科 学の原則との調和において管理によってなされる。すなわち、労働者が発展と科学データの使用によく適応したとすれば、物理的に労働者にとって、機械とデス クで同時に働くことは不可能であろう。また、ほとんどの場合において、あるタイプの人間が、前もっての計画をたてるのに必要とされ、そして、全く異なるタ イプの人がその仕事を実施する。

計画室にいる人は、その科学的管理法のもとの専門は計画され、例外なく、その仕事は熟練の解体によってより良く、より経済的に行なわれうる。すなわち、そ れぞれの熟練工のそれぞれの仕事は例えば、ほかの人間によってなされる様々な予備の仕事に上位にたたれるということである。そしてこのすべては私たちが 言ってきたところの“ほとんど同じの責任の部門と管理者と労働者の間の仕事”を含む。

要約すると、「イニシアティブとインセンティブ」の管理のもとで、実際に全体の問題は「労働者の責任」である一方、科学的管理法のもとで少なくとも問題の 半分は「管理者の責任」なのである.

おそらく、現代の科学的管理法の最も重要な一つの要素は、職務についての考えである。あらゆる労働者の仕事は少なくとも1日前もって経営者によって十分に 計画されており、ほとんどの場合、どの人も仕事をするにあたって、慣れている同様の方法での達成すべき職務が詳細に書かれた指示を受けとる。そして、この ように前もって計画された仕事は、上記のとおり、打開すべき職務が労働者だけでなく、ほとんどすべての場合で労働者と経営者の共同の努力によって構成され ている。この職務は、すべきことだけでなく、どのようにすべきか、職務をするのに与えられた時間までもが細かく指定されている。そして、その労働者が正確 に、与えられた時間制限内に彼の職務を行えた時はいつでも、通常賃金に30%から100%の追加賃金をもらえる。これらの職務は、慎重かつ優れた仕事が遂 行するのに求められているが、しかし労働者が健康に害を及ぼす速さで働くよう、決して求めているわけではないということをはっきりと理解してもらえうるよ うに、入念に計画される。この職務はいつも非常に規定されているため、自分の仕事にかなり適した人が何年もの長い期間、この調子ではたらく間はうまくや れ、働かされすぎない限りより幸せでより豊かになれるだろう。主として、科学的管理法は、本来これらの職務を準備すること、実行することにある。

恐らくこの論文の殆どの読者にとって、古い管理法と新しい管理法を区別する四つの要素が最初に単に大げさなフレーズのように見えるだろうと、著者は十分に 理解している。 そして彼は、それらの存在を知らせるだけで読者にそれらの価値を納得させられるかどうかが、まったく分からないと再び言うだろう。説得力がある話になると いう彼の望みは一連の実際的な実例を通して、これらの四つの要素の物凄い力と効果を明示することに基づく。 最初に、それらの要素はすべてのクラスの仕事、最も基本的な仕事から最も複雑な仕事に、完全に適用できることが示されるだろう; そして、2番目に、それらが適用されている時、結果は必ずイニシアティブとインセンティブの管理の元で達成することができる結果より圧倒的にすばらしいに 違いない。

最初の説明は銑鉄の処理の例であり、この仕事は人間によって行われる労働で、最も雑な作業で単純な仕事の形態の典型的なものであるため、選ばれた。この仕 事は人間の手以外の道具を必要としない。銑鉄処理者は身をかがめ、約92ポンドの重みの金属の塊を持ち上げ、数フィートあるいは数ヤード歩き、そしてそれ を地面、あるいは積荷の上にのせる。この仕事は、その性質において最も雑で単純な作業なので、人よりもより有能な銑鉄処理者になるように訓練された賢いゴ リラでもこの仕事はできると、筆者は堅く信じている。しかし、銑鉄処理の科学はとてもすばらしく、とても高いものに達しているので、このタイプの仕事に最 も適した人であっても、この科学の原理を理解することは不可能であり、あるいは、熟練者の手助けなしにこれらの原理にしたがって仕事を行うことさえ、でき ないということが示される。そして、更なる例により、以下のことを明らかにするだろう。つまり、ほとんどすべての機械的な技術において、各作業員の活動の 基礎にある科学はとてもすばらしく、とても高いものに達しているので、実際この仕事をするのに最も適した作業員はこの科学を理解することができない(教育 の欠如のため、あるいは不十分な知的能力のため)。これは一般的な原理として知られており、この真実は、もう一つの説明の後、明らかになるだろう。銑鉄の 処理においてこれら4つの要素を示した後、機械技術の面でさまざまな仕事へのそれらの対応のいくつかの説明が、もっとも簡単なものから始まり、より複雑な 労働の形式で終わり、だんだんと大きな規模で与えられるだろう。

著者がベツレヘム製鉄会社に科学的管理法を紹介し始めたとき、私たちによって始められた初めての仕事の一つは銑鉄を処理することだった。スペイン戦争の始 めに、工場に隣り合う広々とした場所に置かれた約80,000トンの銑鉄が見つかった。銑鉄の価格はとても安かったので売って利益を得ることはできず、そ れゆえそれは蓄積された。スペイン戦争が始まると同時に銑鉄の価格は上昇し、この大きな鉄の蓄積は売れた。このことにより、工場のオーナーや経営者だけで なく工員たちにも、とても初歩的な種類の仕事をすることで、旧式な日払い労働や出来高払いの仕事以上の莫大な利益をあげられることを示すよい機会を私たち は得られた。

ベツレヘム製鉄会社は5つの溶鉱炉を所有していて、その製品は何年間も銑鉄グループによって扱われていた。当時、このグループは約75人の男たちから成っ ていた。彼らは善良で普通の銑鉄処理者であり、すばらしい職長(彼自身銑鉄処理者だった)の下で働き、そして概してこの仕事は、当時ほかのどこにも劣らな いほどはやく、安く行われた。

鉄道のスイッチは無くなり地面が見えているが、そのすぐ横には銑鉄が山積みになっていた。荷車の一方には傾斜版が立てかけられ、男たちはそれぞれ自分たち の山から重さ約92ポンドの銑鉄を拾い、傾斜版まで持って行き、荷車の端にそれを落とす。

私たちは、このグループは一人ずつ一日に平均で約12.5トンを課されていることに気づいた。私たちは、研究の後に、一流の銑鉄処理者は12.5トンの代 わりに、一日平均47から48トンを扱うということに気付き驚いた。この仕事は、私たちにはとても大きなものに感じられたために、私たちの研究が正しいと 完全に確信するまでに、何度も調べ直さざるをえなかった。しかしながら、私たちはそれが正しいと確信した。一流の銑鉄処理者にとって47大トンは適切な一 日の仕事量であり、現代の科学的計画のもとでの管理者として私たちが直面している仕事は疑いようのないものであった。今まで行われていたペースである 12.5トンの代わりに、一人ずつ一日に平均で47トンのペースで80,000トンの銑鉄が荷車に載せられるのを見ることは私たちの義務であった。そし て、彼らの間にストライキを起こさず、彼らと仲たがいを起こさず、その仕事は行われなければならず、彼らが古いペースである12.5トンを課せられていた 時より、新しいペースである47トンを課せられている方がより幸福そうで満足していることを見ることは、さらなる私たちの義務であった。

私たちの第1段階は,労働者の科学的選択だった。科学的管理法においては,労働者を扱う際には,一度に1人の労働者だけと接して話しかけることを原則とす る。なぜなら各労働者には自身の特別な能力と限界があり,私たちは個々の労働者達を大衆としてみなしている訳ではなく,労働者達それぞれに対して,最も効 率的で良い状態を作り出そうとしているからである。私たちの第1段階は,初めに適切な労働者を見つけることであった。そのため,私たちは現場の75人の労 働者達を3日から4日にわたり注意深く観察,研究し,最後には,1日につき47トンの銑鉄を扱うことのできていた4人の男性を選び出した。
その後,注意深い研究は,これらの男性各人にたいして行われた。私たちは,彼らの実用的な経歴,そして各人の性格や癖,野心などにわたり徹底的に調べ,最 終的には4人のなかから,研究をスタートさせるのに最適な1人を選び出した。その男は,ペンシルバニア育ちのオランダ人で,仕事を終えて夜になると,家ま でのおよそ1マイルを,朝,仕事に向かう時とおなじくらい元気よく,急ぎ足で帰る姿が見られていた。私たちは,彼が1日あたりの1.15ドルの賃金で,小 区画地を買うことができ,また,仕事に来る前と仕事が終わった後の朝晩,自分の小さな家の壁を立てているということを調べた。彼はまた非常に「しまり屋」 であり、一ドルをとても高い価値に置き換えるという噂もあった。私たちが一緒に彼について話をしていたある一人の男が言った。「彼にとって一セントは車輪 の大きさぐらいに見える。」この男を私たちはシュミットと呼ぶ。シュミットに一日あたり47トンの銑鉄を扱わせ、彼にそれを喜んででさせるように、私たち の課業を限定していった。これはつぎの通りに行われた。シュミットを、銑鉄を扱う人たちの一団の中から呼び出し、いくぶん、このやり方について話し合っ た。

「シュミット、お前は高賃金をもらう男か?」

「私はあなたの言っていることがわからない。」

「わかってくれ。私はお前が高賃金をもらう男かどうか知りたいだけだ。」

「あなたの言っていることがわからない。」

「さあ、私の質問に答えてくれ。私が知りたいのは、お前が高賃金をもらう男なのか、それともここの安い賃金をもらっている仲間のうちの一人なのかだ。私が 知りたいのは、お前が一日に1.85ドル得たいのか、それともすべての安い賃金をもらっている仲間が得ている同じ1.15ドルで満足しているのかだ。」

「一日に1.85ドル欲しくなかっただって?高賃金をもらいたくなかったかって? いや、私は高賃金をもらいたかったよ。」

「私を怒らせるな。もちろんお前も1.85ドル欲しいし、誰だって欲しいに決まっている! お前が高給取りである事と全く関係がないことくらいわかるだ ろ。私の質問にしっかり答えてこれ以上私の時間を無駄にしないでくれ。こっちへ来い。あの銑鉄が見えるか?」

「はい。」

「貨車も見えるだろ?」

「はい。」

「もしお前が高給取りであるというなら明日1.85ドルであの銑鉄をあの貨車に積み込むんだ。さあしっかり目を開けて私の質問に答えろ。お前は高給取りな のかそうではないのか?」

「明日私が銑鉄をあの貨車に積み込めば1.85ドルもらえるんですね?」

「ああ、もちろんだ。1年間銑鉄を貨車に積み込むことでお前は毎日1.85ドル手にすることができるんだ。それは高給取りがしていることだ。私の言ってい ることがわかったか?」

「はい。よくわかりました。明日1.85ドルであの銑鉄を貨車に積み込みます。そうすれば毎日1.85ドルもらえるんですよね?」

「そのとおりだ。」

「はい。じゃあ、私は高給取りです。」

「いや、ちょっと待て、ちょっと待て。高給取りというのは言われたことを正確に朝から夜までしなければならないことをお前も知っているだろ?お前はこの男 に以前に会ったことがあるはずだ。そうだろ?」

「いいえ。会ったことがありません。」

「では、もしお前が高給取りなら、明日の朝から夜までこの男がお前に言うとおりに、まさにそのとおりにするんだ。彼が銑鉄を拾って、お前に歩くよう言った ら、お前はそれを拾い、そして歩く。そして、彼が座って休息するように言うとき、お前は座る。お前はまっすぐ一日を通して何かその正しいことをする。そし てその上、口答えをしない。今、高給取りはまさしくやれと言われたことをし、そしてどんな口答えもしない。それを理解できるのか?この男がお前に歩くよう 言うとき、お前は歩く;お前に座るよう言うとき、お前は座る。そして、お前は彼に口答えをしない。今、お前は明朝ここで仕事をするために来る。そして、お 前が本当に高給取りであるか否かを夜になる前に知るつもりだ。」

彼がイニシアティブとインセンティブの管理のもとでいつものような態度で話していたらシュミットの答えはどうだっただろう? 次の通りである。

「オーケー、シュミット、お前は銑鉄取り扱いでは一流で、その仕事ぶりは有名だ。お前は一日あたり12,5トン扱っている。私が銑鉄の取り扱いについて重 要なアドバイス(研究)を与えれば、一日の業績を今まで以上に伸ばせるだろう。現在12,5トンではなく一日に47トンもの銑鉄を扱えるなんて考えもしな いだろう?」

この問いに対してシュミットがどう答えたか、おわかりだろうか?

シュミットは働き始め、一日中、一定の休憩をとって、「金属の塊を拾って歩け。座って、休憩しろ。歩け、休め。」などと向うで見張りながら立っている男に 命じられた。彼は働けといわれたら働き、休めといわれたら休んだ。そして午後五時を半分まわったところで47.5トンが車に積まれていた。そして実際、彼 は与えられた仕事のペースを筆者がベツヘレムにいた3年間決してやめることはなかった。そして、この期間を通じて以前はベツレヘムで決められていた1日 1.15ドルの賃金以上を受け取った事がなかったけれども、そのときから彼は1日平均1.85ドルちょっとを受け取る事となった。それは彼が、1日の課業 分を働いてない人よりも60%も高い賃金を受け取っているという事だ。全ての銑鉄が1日につき47.5トンで扱われるようになるまで、一人また一人と選び だされ、1日につき47.5トンのペースで扱えるように鍛えられ、彼らの周りの労働者よりも60%高い賃金を受け取っていた。

筆者は科学的管理法からなる四つの要素のうちの三つを上記の簡単な説明を述べた。まず1つ目の労働者の慎重な選択、2つ目と3つ目それは科学的管理法に基 づいて、まず労働者を誘導し、鍛えたり働けるように助ける方法である。銑鉄を取り扱いの関する科学的なことについては何も言わなかった。しかしながら、筆 者はこの説明を残す前に銑鉄の扱いの科学が存在し、さらにその科学は銑鉄を扱うのに適している人ではおそらく理解できないこと、また彼らより優位に立って これを助ける人なしではその科学的な原理の元では働く事ができないことは読者も余すところなく確信しているだろう。 

筆者は見習いとして鋳型製作者または機械技術者として仕えたあと、1878年にミッドベール製鉄会社の機械工場にやってきた。これは1873年の恐慌に続 く長年の不況の終わり頃に近い時期のことであった。そのころは経済がとても振るわなかったため、多くの機械技術者は自らの職業における仕事を得られなかっ た。こういったいきさつから、彼も機械技術者として働くかわりに日雇い労働者として始めるしかなかった。ところが幸運にも工場にやってきたのちすぐに、工 場の事務員が盗みをしてそのことが発覚してしまった。ほかに使える者がいなかった、他の労働者よりも教育を受けている(著者は大学に入学する準備をしてい たので)といったことから彼は事務員という地位を与えられたのである。この後しばらくして、彼は旋盤の中の一つを稼動させる機械技術者としての仕事を与え られた。そして、同じ種類の旋盤で他の機械技術者が行うよりもより多くの仕事をこなせることが判明したため、数ヶ月後には旋盤部を支配するギャングのボス となった。

数年間にわたってこの工場の仕事のほとんど全てが出来高払制だった。この国のたいていの工場では、過去もそうだったし、現状でもそのとおりである。工場は 実のところ、作業員達によって運営されている。作業員達はともにそれぞれの仕事がどれくらいの早さで行われるべきか、きめ細かく計画を立て、工場の至る所 まで、丁度良い量と考える1日の仕事量の約3分の1を上限としてそれぞれの機械のペース配分を設定している。新しく工場にきた作業員は皆ただちに他の作業 員から、自分が各種類の仕事をどれくらいすべきか正確に告げられる。そしてもしこれらの指図に従わないのならば、たちまち他の工員達によってその場から追 い出されるはめとなってしまうだろう。


(以下未訳)

As soon as the writer was made gang-boss, one after another of the men
came to him and talked somewhat as follows:

"Now, Fred we're very glad to see that you've been made gang-boss. You
know the game all right, and we're sure that you're not likely to be a
piece-work hog. You come along with us, and every-thing will be all
right, but if you try breaking any of these rates you can be mighty sure
that we'll throw you over the fence."

The writer told them plainly that he was now working on the side of the
management, and that he proposed to do whatever he could to get a fair
day's work out of the lathes. This immediately started a war; in most
cases a friendly war, because the men who were under him were his
personal friends, but none the less a war, which as time went on grew
more and more bitter. The writer used every expedient to make them do a
fair day's work, such as discharging or lowering the wages of the more
stubborn men who refused to make any improvement, and such as lowering
the piece-work price, hiring green men, and personally teaching them bow
to do the work, with the promise from them that when they had learned
how, they would then do a fair day's work.

彼らは、生産高を増やそうとした全ての者に対して、仕事の内外を問わず圧力をかけ続け、その結果、彼らは他の者と同じくらいの生産高をあげることを強いら れるか、または、仕事をやめていった。このような経験をしていないものは誰も、争いによって生み出される苦さを思いつくことはできない。この種の争いにお いて、労働者はたいていの場合において効果的なある手段をとる。彼らは、巧妙さを利用して、作動させている機械が明らかに事故か、または、一定の仕事の成 り行きにおいて、壊れダメージを受ける様々な方法を考えた。また、機械がだめになったのは、常に無理に機械を動かすことを強制させた職長のせいだと主張し た。工場において全ての労働者の結集した圧力に対して抵抗できる職長はほとんどいない。この場合のように、問題は工場が一日中操業しているという事実に よって、より複雑になった。

筆者は二つの利点をもっていたが、それらは常勤の職長は所有されておらず、また、これらは不思議なことに彼が労働者の息子ではないという事実から生じたの であった。

第1に、彼が偶然にも仕事の監督者ではないという事実のために、企業の持ち主は実際には他の労働者よりも彼の方が仕事に関心があると信じており、それゆえ 彼らは彼に管理されている作業員の言葉よりも彼自身の言葉をより信頼していた。そのため、作業員が管理者に無能な監督が酷使したために機械が壊れてしまっ たと報告した時、管理者は筆者の言葉を受け入れ、彼が未だ続いている出来高払いの仕事争いの一部として作業員たちが機械を故意に故障させたと言った時、彼 は筆者に作業員の一部が行ったこの破壊行為に関する最良の回答を提供することを認めた。すなわち「この工場ではもう機械に故障は起きないだろう。もし機械 の一部が壊れたならばそれに関わった労働者は少なくとも修理費用の一部を負担しなければならないし、またこの方法で集められた罰金は全て貧しい労働者を助 けるために相互扶助団体へ渡されるだろう。」このことによりすぐに機械を意図的に壊すことは抑えられた。

第2に、もし筆者が従業員のひとりであり彼らの住んでいた所に住んでいたなら、彼らは抵抗も出来ないであろう社会的圧力を彼にもたらしたであろう。彼は通 りに出ればいつも「非組合員」やその他の品のない言葉で呼ばれ、彼の妻は侮辱され、そして彼の子供は石を投げられたであろう。一度か二度、彼は、数人の労 働者の友人におよそ2マイル半の線路沿いの孤立した道を歩いて家に帰らないように忠告された。彼は、もし彼がこの行為をし続ければ生活の危険を冒すだろう と伝えられた。しかし、そのような場合、臆病なところを見せると危険は減らず、むしろ増加しやすいので、著者は毎晩その線路を通って家に歩いていくつもり だったとお店で他の工員に話すように数人の友人に言った。つまり彼はいかなる種類の武器も決して持ち運ばず、持たず、彼らは撃つことができ、そし て・・・・・。

このような努力の3年後、機械の生産高は非常に増加し、多くの場合2倍になりった。そして、その結果著者は様々な班長を経験し、ついには工場の主任になる まで昇進した。しかしながら、心の正しい人は、この成功は周りの人々との奮闘した結果に対する報酬などとは思わない。他の人との連続的な奮闘の人生はほと んど生きる価値がないのだ。労働者の友人は、彼らの利益のための生産高の増やし方を教えてくれと友人として著者のところに絶えずに尋ねてきた。しかし正直 な人なので、彼はもし、自分が彼らの立場ならば彼らがやっているように生産高を増やすことには反対するだろうと言った。なぜなら、出来高払い制では仕事を たくさんしても、現在稼いでいるのと同じくらいしか稼げないからである。


(以下未訳)

Soon after being made foreman, therefore, he decided to make a
determined effort to in some way change the system of management, so
that the interests of the workmen and the management should become the
same, instead of antagonistic. This resulted, some three years later, in
the starting of the type of management which is described in papers
presented to the American Society of Mechanical Engineers entitled "A
Piece-Rate System" and "Shop Management."

In preparation for this system the writer realized that the greatest
obstacle to harmonious cooperation between the workmen and the
management lay in the ignorance of the management as to what really
constitutes a proper day's work for a workman. He fully realized that
although he was foreman of the shop, the combined knowledge and skill of
the workmen who were under him was certainly ten times as great as his
own. He therefore obtained the permission of Mr. William Sellers, who
was at that time the President of the Midvale Steel Company, to spend
some money in a careful, scientific study of the time required to do
various kinds of work.

Mr. Sellers allowed this more as a reward for having, to a certain
extent, "made good" as foreman of the shop in getting more work out of
the men, than for any other reason. He stated, however, that he did not
believe that any scientific study of this sort would give results of
much value.

この時に行われたいくつかの調査の中に、一日に行うべき仕事がほどよく適しているあらゆる種類の重労働従事者の仕事量とはどのくらいかを職長が前もって知 ることができるようにする、つまり、一流に値する労働者の重労働による疲労の影響についての規則や原則を見つけようと試みたものがあった。私たちの第一歩 は、英語、ドイツ語、そしてフランス語で書かれた題材すべてを調べるために若い大学卒業生を雇うことだった。2種類の実験が行われていた。ひとつは、人間 の耐久性について研究している生理学者によるものであり、もうひとつは馬力と人力の比較測定をしようとしている人間管理専門家によるものである。これらの 実験は主に、おもりが吊るされたウィンチのクランクを回転させることで荷物を持ち上げる人と、それから他に、歩いたり、走ったり、様々な方法によっておも りを持ち上げることに従事する人によって行われた。しかし、これらの調査による記録は、重要な法則がそれらからは何も推論できないような、非常に乏しいも のであった。それゆえに、私たちは独自に一連の実験を始めた。

自分が肉体的に強壮であると証明し、またまじめな二人の労働者が選ばれた。彼らにはこの実験の間、2倍の賃金を支払い、彼らには、常に懸命に働くように命 じた。そして彼らが怠業するか、しないか、時々いくつかのテストを行った。そして、彼らのうちどちらかが私たちを欺こうとした時には、その者は解雇され る。彼らは観察されている間じゅう懸命に働いた。


**** 翻訳ここまで ****








この翻訳の底本には、プロジェクトグーテンベルグ(http://www.gutenberg.org) にアップロードされている『科学的管理法の原理(The Principles of Scientific Management)』(http://www.gutenberg.org/etext/6435) を使用した。


序章・第1章 あとがき

この翻訳は、稲葉が担当していた2003年度の大阪市立大学商学部の外書講読の授業の一環としておこなわれた。プロジェクトグーテンベルグのサイトにあっ た『科学的管理法の原理』序章と第1章20ページあまりの文章を30数人で分担して翻訳していったものだ。各自が訳を始める前に参加者全体で基本的な訳語 や文体を統一させておき、できた訳文を相互にチェックするというやり方ですすめていった。あまりにひどい訳文があった場合は稲葉がその部分を全面改訳した が、それ以外はほとんど各担当者のオリジナルの文章を使っている。必ずしも英語が得意な学生ばかり集まっていたわけではないので、まだまだ誤訳や稚拙な表 現が残っているかもしれない。時間を見つけて、手直ししていこうと考えている。

読者の皆様にももしもそのような部分が目にとまりましたら、ご指摘と改訳などお送りいただければ訳者一同幸甚の極みであります。

(2004年5月1日 稲葉 祐之)


翻訳者氏名(敬称略、翻訳順)

上田 悠貴
古澤 弘生
大塚 剛
小島 淑行
佐々木 経太
辻 紘司
浜田 耕一
山崎 修三
山田 智世
吉富 武志
喜多條 よしみ
阪中 友浩
下田 恭子
谷口 もとみ
三宅 昌和
矢野 千珠
安藤 健太
奥野 仁美
高橋 千尋
一柳 奈々
山田 真生
竹内 早苗
竹田 明美
藤井 義徳
薬師寺 芳行
有田 壮志
板谷 和彦
岸本 豊
高田 靖二
渡辺 想
原 文吾
早川 裕子
片山 賢太郎
中村 剛

稲葉 祐之


第2章 あとがき

この翻訳は、稲葉が担当していた2006年度の大阪市立大学商学部の外書講読の授業の一環としておこなわれた。プロジェクトグーテンベルグのサイトにあっ た『科学的管理法の原理』第2章の20ページあまりの文章を、30人で分担して翻訳していったものだ(まだ2カ所ほど翻訳されていない部分がある)。

翻訳の進め方はそれまでと同じやり方を踏襲した。3回分の授業時間と30人の人手と彼らによる相互チェックがあれば、これだけの翻訳ができてしまうのだ。 内容はすばらしいが、少々お堅い経営学の古典。しかし何人かの学生たちは、原典をじっくり読むことのおもしろさを理解してくれた。またプロジェクト杉田玄 白に参加したことで「消化単位科目」の観のある外書講読の授業に対するモティベーションもあがった、という感想もあった。そして教える側にとっても、この 翻訳のように授業を通じてなにか残るものができたことは嬉しいものだ。

しかしまだまだ誤訳や稚拙な表 現が残っているかもしれない。時間を見つけて手直ししていこうと考えている。読者の皆様にも、もしもそのような部分が目にとまりましたら、ご指摘と改訳な どお送りいただければ訳者一同幸甚の極みであります。

(2007年2月20日 稲葉 祐之)


翻訳者氏名(敬称略、翻訳順)

森鼻 純也
石原 淳一
宇佐見 剛
瓜生島 啓
川村 絵里加
北谷 実加
黄瀬 大祐
志賀 達哉
中井 純一
長岡 美起
西村 卓
堀田 歩美
正田 一仁
和田 真生子
Rudy Tan
田中 美穂
田渕 敬章
中野 真知子
生川 枝里子
山口 雅史
森本 和久
内海 公宏
江畑 覚司
大塚 晶子
魏 洋
中澤 拓哉
木平 直希
佐々木 瑠央
野田 直哉
佐伯 祐介

稲葉 祐之





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